「職人とはどういう者か。必ずしも自分がつくり出す製品が金にならなくとも、自分が持てる技術のすべてを製品に注ぎ込むことにおいて、彼らは大いなる満足を獲得します」
根が純粋──別の言い方をすると単純──なわたしはこれですっかり「職人」でいこうと決めたのである。もっとも、著者が提唱しているのは「小説の職人であれ」ということであって、わたしの場合は小説を書くわけではないからあくまで「書評の職人」なのだが。
ともかく、こうしてこの本はわたしにとって「思い出」深い一冊となった。だが、もちろんくだらない本ならそもそもそんなふうに感銘(?)を受けるはずもない。本書は著者の代表作となるくらいの傑作だ。
小説家に対して小説以外の著書を代表作と呼ぶのは失礼な話かもしれない。だが、率直にいえば、島田雅彦という作家はエッセイストまたは理論家としてすぐれているのだが、小説家としてはヘタな書き手だと思う(あくまでわたしの主観ですけど)。しばしばそういう作家がいるように、小説よりもエッセイや評論のほうがおもしろいというタイプの小説家なのである……なんだか島田を貶しているようになってきたが、少なくとも今回はほめようと思っているので、この話はこのへんでおしまい。
さて、本書の内容をひと言でいうなら、小説を書くための「教科書」である。自らの経験をふまえつつ、新しい書き手に向けて、いかにして小説を書くべきか、そのための基本テクニックを豊富な事例を挙げながら丁寧に解説した技術書だ。
しかし、決して難解ではない。大学の講義がベースになっているせいか、「です・ます体」のやさしい文章はいたって読みやすく、とくに文学理論に精通していなくても理解できる。
本書の構成は、文学のジャンル、小説の構成法、語り手の設定、対話の技法、小説における時間・空間(場所)、小説を書く動機、など。まさに「教科書」にふさわしい内容の充実ぶりである。オビの推薦文で蓮実重彦が「21世紀の『小説神髄』」と絶賛しているのも宜なるかな、である。
著者は冒頭で、
「ここに書かれてあることが理解でき、かつ実践できるならば、作家になる資格は十分にあるでしょう」
と述べている。小説を書いている人、これから書こうとしている人は、本書を自己検証のバロメーターとして一読するのも決して無駄ではないだろう。
おそらく本書で著者が主張している個々の論点は既存のいくつもの文学理論に由来するのだろうが、それらを自分なりに消化して「編集」してみせた腕前は見事だ。こういう編集作業は文学理論に通じているからといって、ちょっとやそっとで出来るものではない。
だから、本書を小説の技術書としてだけでなく、文学理論(小説理論)の全景がコンパクトに平易に提示された文学入門として読むことも可能だ。蓮実重彦は坪内逍遥の『小説神髄』を引き合いに出したが、夏目漱石の『文学論』と比べるのもおもしろいだろう。あるいは、若い書き手への呼びかけという観点からは例えば大江健三郎の『新しい文学のために』なども連想される。
ここではテクニックよりも、先ほどの「小説の職人」にもう少しこだわってみたい。
著者によると、宮沢賢治やフランツ・カフカのように生前はほとんど原稿料をもらったことがなくても、後世に残る原稿を書いた作家もいるという。そして、彼らは作品を
「金のためではなく、自分の世界観をしっかりと刻みつけるために書き、孤独な闘いの記録として残したのです」
と述べている。このような態度こそ「小説の職人」のものだろう。もちろん、生きているうちは売れなくてもいいというわけではないが、肝心なのは「孤独な闘いの記録」として書くかどうか、なのだ。
そんなふうに著者は、キモチのわるい口先だけの応援をする代わりに、「孤独な闘い」をさり気なく肯定してみせることで真面目に小説に取り組んでいる潜在的な作家たちへエールを送っているのである。だから、作家をめざす人たちには著者からのメッセージを真っ向から受けとめて、目先の「原稿料」に惑わされずに地道に「闘い」を継続してほしい。
ところで、本書を読み終えてから、ふと気づいたのだが、小説の技術の根底にあるべき「職人魂」というやつは小説家(やいわゆる職人)だけのものではないのではないか。どんな職業であれそれぞれに「職人魂」があるはずで、もしそれを失えば、その仕事はとたんに退屈で悪質なものになってしまう。事実、そのような事例を近年の偽装事件に見出すのは容易だろう。
そう考えると、著者は、実は、小説のテクニックの伝授という形式を通して、わたしたちを「孤独な闘い」へと誘い出そうとしているのかもしれない。だとすれば、本書の隠れた目論見とはこの国の国民すべてを「職人」に変えることなのにちがいない。
そうなると、国中のあちらこちらで「孤独な闘い」が繰り広げられる。文学なんか関係ないと考えている人も試しに本書を読んでみて、ついでにあえてそそのかされてみるのはどうだろうか。少なくとも自分の「仕事」を見つめなおすきっかけにはなると思う。
だが、著者が密かに企てる「一億総職人化計画」は間違いなく「職人魂」を嫌う勢力──儲かればそれでいいという思想──と衝突するだろう。その時、首謀者島田雅彦は、穏やかな市民生活をかき乱すとんでもない反社会的非行中年だとして「ひんしゅく」を買うだろう。それこそが著者の真の狙いなのであるが…。
この作家は、小説はヘタだけど、やっぱり根っからの「小説家」なのだ。
(敬称略)
【著者プロフィール】島田雅彦(しまだ まさひこ)
1961年生まれ。東京外国語大学ロシア語学科卒。小説家。法政大学国際文化学部教授。著書:『彼岸先生』『徒然王子』など多数。
★今回の本★
島田雅彦『小説作法ABC』(新潮選書、2009)
【あとがき】
『小説作法ABC』という本は小説の技法を多角的に述べた技術書なのですが、ご覧の通りテクニックに関しては無視しました。それよりも、技術の根底にある心得(職人魂)のほうに注目したわけです。
この本に関しては書きたいことがたくさんありましたが、いったん書いた下書きからじゃんじゃん削ぎ落としました(今後もこの姿勢を継続したいと思います)。
それでも最後のほうはずい分脱線しましたけれど、脱線とか誤読とかも自由な読書の醍醐味だと思ってご容赦ください。
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