2011年10月07日

【歌謡曲批評】中島みゆき「世情」

作詞・作曲・唄=中島みゆき


この歌詞は難解だ。

まず冒頭、

「世の中はいつも変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする

変わらないものを何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする」


ここにある対立の構図は、
いつも変わっていることに抵抗する者が
変化を「頑固者」のせいにする、
と読める。

つまり、ここでの対立軸は、

「頑固者」対「抵抗勢力」

と整理できる。

両者とも変化に対して批判的なのだが、
「頑固者」はたんに頑固なだけで、変化をだれかのせいにはしない。
抵抗勢力は「頑固者」が愚鈍だからいけない、という。

しかし、

つぎのリフレインをみると、論理的に混乱してくる。


「変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと戦うため」


今度は、変化を肯定する立場から変化に抵抗する者たちと戦うこと
が情感たっぷりに歌い上げられている。

冒頭では、変化を拒絶する立場(のうちの「頑固者」)が肯定され、
今度は、変化を加速させる立場が肯定されている。

いったいどちらが作詞家の真意なのか?





とりあえず、
以上から、この歌詞には3つの視座があることがわかる。

ひとつは「頑固者」。もうひとつは抵抗勢力。そして、改革勢力。

しかしながら、作詞家が改革勢力を肯定しているといえるかは
わからない。

さきほども述べたが、「頑固者」はたんに頑固なだけなのであって、
たしかに「悲しい思い」はするが、「時の流れを止めて 変わらない
夢を見たがる者たち」と同一視するわけにはいかないからだ。

なんのために「戦う」のかが、この歌詞だけではよくわからないの
だが、必ずしも変化を肯定して改革を加速させるため、とは限らな
いのではないだろうか。

むしろ、抵抗勢力からは変化の元凶とみなされ、
おそらく改革勢力からも邪魔者扱いされるであろう「頑固者」が
それらと「戦う」と解釈することはできないか。

むろん、歌詞のうえでは「戦う」対象は抵抗勢力が前面に出ている
のだが、そのような抵抗勢力と「頑固者」との区別は重要だと思う。

要するに、わたしの現時点での感想をいえば、
作詞家がいちばん寄り添っているのは「頑固者」のような気がするのだが。

それにしても、リフレイン部分から考えると、
わたしの解釈では釈然としないと自分でも思う。

この歌詞はもっとべつの解釈もできるはずだ。
みなさんはどう考えるだろうか。
わたしももっとよく考えてみたい。



posted by 満天 at 18:19| Comment(0) | 歌謡曲を読む | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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