この歌詞は難解だ。
まず冒頭、
「世の中はいつも変わっているから
頑固者だけが悲しい思いをする
変わらないものを何かにたとえて
その度崩れちゃ そいつのせいにする」
ここにある対立の構図は、
いつも変わっていることに抵抗する者が
変化を「頑固者」のせいにする、
と読める。
つまり、ここでの対立軸は、
「頑固者」対「抵抗勢力」
と整理できる。
両者とも変化に対して批判的なのだが、
「頑固者」はたんに頑固なだけで、変化をだれかのせいにはしない。
抵抗勢力は「頑固者」が愚鈍だからいけない、という。
しかし、
つぎのリフレインをみると、論理的に混乱してくる。
「変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと戦うため」
今度は、変化を肯定する立場から変化に抵抗する者たちと戦うこと
が情感たっぷりに歌い上げられている。
冒頭では、変化を拒絶する立場(のうちの「頑固者」)が肯定され、
今度は、変化を加速させる立場が肯定されている。
いったいどちらが作詞家の真意なのか?
■
とりあえず、
以上から、この歌詞には3つの視座があることがわかる。
ひとつは「頑固者」。もうひとつは抵抗勢力。そして、改革勢力。
しかしながら、作詞家が改革勢力を肯定しているといえるかは
わからない。
さきほども述べたが、「頑固者」はたんに頑固なだけなのであって、
たしかに「悲しい思い」はするが、「時の流れを止めて 変わらない
夢を見たがる者たち」と同一視するわけにはいかないからだ。
なんのために「戦う」のかが、この歌詞だけではよくわからないの
だが、必ずしも変化を肯定して改革を加速させるため、とは限らな
いのではないだろうか。
むしろ、抵抗勢力からは変化の元凶とみなされ、
おそらく改革勢力からも邪魔者扱いされるであろう「頑固者」が
それらと「戦う」と解釈することはできないか。
むろん、歌詞のうえでは「戦う」対象は抵抗勢力が前面に出ている
のだが、そのような抵抗勢力と「頑固者」との区別は重要だと思う。
要するに、わたしの現時点での感想をいえば、
作詞家がいちばん寄り添っているのは「頑固者」のような気がするのだが。
それにしても、リフレイン部分から考えると、
わたしの解釈では釈然としないと自分でも思う。
この歌詞はもっとべつの解釈もできるはずだ。
みなさんはどう考えるだろうか。
わたしももっとよく考えてみたい。